久々の休日
4月3日に異動してから昨日まで全く休みがなく、怒涛の日々でしたが、ようやく休みが取れました。
職場の雰囲気は良好で、意外に難易度の低い仕事から順に覚えさせてもらえる感じだったので、うまくやっていけそうです。
今回の異動はほぼ転職と言っても差し支えない感じだったので、事前に各方面から情報を仕入れて良くも悪くも頭でっかちになっていました。
どうやら、責任の重い仕事もいきなり降ってくるわけではなく、私の力量を見て、課内で誰に配分するか一年かけて品定めするといった様子のようなので安心しました。
どうしても前職営業時代の『超OJT』の感覚が抜けきらず、最悪そこを基準に異動準備をしてしまうので、相当な覚悟を持って臨まざるをえなくなってしまいます。
ただ、数は少ないでしょうが、組織内にそういう部署もあると思うので、私自身の心の持ちように関しては今後もこのようにいきたいと思います。
しかし、組織が違うとここまで風土が違うのかという感覚も芽生えます。私はやはりホワイトな組織に属しているのだと今回も実感しています。
人生の健康や幸せを考えると、収入を犠牲にしてでも転職に踏み切って本当に正解だったと今回改めて思いました。
ただ、社会人になって初めて『19連勤』というものをしましたが、なかなかの体験でした。
たぶん来年同じことをやっても大丈夫なのでしょうが、
ゼロからの仕事、ゼロからの人間関係の中で、しかもかなりシステマチックな業務体系で夜21時まで常に監視されているような感覚、初日から全く休みなしというのは正直かなり堪えました。
来週からはどうやら週一回以上は休みがありそうなので、組織内でも屈指のホワイト部署という噂は本当なのかどうか、この身を持って体験したいと思います。
どうやら、夏からは毎日定時に帰れるという噂なので、健康管理面では今年は特に身体を鍛えたいですね。
子育てにも積極的に参加したいです。
異動
営業職6年、事務職に転職して3年。社会人になって9年が過ぎました。
そして、この4月1日より異動になりました。この3年は事務職と言いながらも対人対応中心の所がありましたが、
今回の部署はいよいよ本格的に事務職、この職場のイメージそのままの部署です。
どうやら半年は毎日9時帰りの土日出勤、残りの半年はほぼ定時に帰れるようです。
新しい仕事を覚えると共に、子育てもあるので大変な日々になると思います。
いよいよ社会人人生の勝負所が来たなと覚悟しています。
どうやら、私はけっこう責任が重い仕事をやるようです。しかし、私の『事務』という仕事のみの能力はいよいよ未知数です。
対人スキルはノウハウがあるので、過去3年は窓口対応でも応用できました。しかし、今回の部署こそ、今後30年ここに勤められるかの試金石になりそうな予感がするのです。
大事な一年になりそうです。後悔しないように自分の能力を出し切りたい。そのためにも、引き続き健康にも気をつかいます。
急逝
高校の旧友が急逝した。
原因は分からないが、あまりに早すぎる死でした。
私は仕事でお通夜に出れなかったので、無理やり告別式に出席しました。
結婚披露宴に呼ぶような仲ではありませんでしたが、高校時代には色々とお世話になり、大学時代にもサシで飲んだこともありました。
ここ10年位会ってませんでしたが、最期に顔を見たかったのです。
不思議なもので、顔を見ると色々な思い出が込み上げてきて、涙を抑えることができなかった。
人の人生とは本当に分からないものだと思いました。
人生を生き抜く意味…。
深く思考すると、
私の時計の針は、あの生家を追われた日から止まっているのかもしれません。
告別式の後に同級生数人と食事をしました。
私の祖父の会社が以前は上場を狙っていたこともあり、今から10数年前に夜8時からの某有名番組に20分程度出演したことがあります。
その話題が出た時に、恵まれていた時代のことを思い出し、同時にえも言われぬ苦しみを感じました。
どうしてこんなことになってしまったのか。
戦犯中の戦犯である私の父は心底どうしようもない男だが、そこが本当の原因ではない。
私に力がないのだ。
年齢的に見ても、私が会社の倒産を防ぐことは不可能だっただろう。
しかし、私が本当に優秀な人間なら、とっくの昔に起業をしていただろう。
そのようなことを考えながら、絶望と現実の狭間で、自分自身の微かな光、可能性を信じて今は努力を続けている。
ともかく結果が欲しい。そのためならどんなことも厭わない。
健康を大事にする以上に、このままでは死に切れないという想いが強いことに気が付きます。
この感覚を大事にしながら、亡き友のことを想い、一日一日を大切に生きていきたい。
決意
息子が順調に育っている。
妻の実家に預かってもらっているが、土日はお風呂に入れたりオムツを替えたり。
本当にかわいくて、泣き喚いていても全然嫌じゃない。
大学卒業して実家が実質的に倒産して家を追われてからは本当に苦しいことばかりで、
真の意味の安堵というか、幸せはおそらく一度も感じていなかったのではないかと思いますが、
息子を見ていると全てが吹き飛ぶような感覚すらあります。
しかし、そこで問題を履き違えてはいけないと自分を戒めます。
この健康ブログを立ち上げたのも、全てはお家再興のため。
旧家を、というよりは、父とは完全に縁を切り、祖父の無念を晴らした上で、私の代から新しく立て直すという気持ちが強い。
妻や息子、母のためにも。最低限のレベルまでは盛り返しましたが、まだまだどん底もどん底の圏内と言って差し支えない状況です。
うちの家の人はみんな現実から逃げている。結果的に借金の返済義務がないからといって、この一家で無一文に近い状況を何故看過できるのか私には一切理解できない。本当に嫌いだ。
私は逃げずに現実と闘います。
しばらくこのブログも更新できていませんが、健康管理はやはり重要なファクターです。
時間がある時に定期的に更新していきたいですね。
息子誕生
怒涛の日々です。
祖母が倒れて一命を取り留めたと思ったら、妻の陣痛が始まり、長男が生まれました。
文章にすると短いですが、あまりに濃い日々でした。
出産には最初から最後まで立ち会い、妻のあまりの痛がりように最悪の事態も頭に過ぎりつつ、
無事に息子が生まれてきた瞬間には、妻が助かった安堵と息子が誕生した喜びで涙が溢れてきた。
言葉では表せない体験をさせてもらった。私ならあの痛みは耐えきれないでしょう。女性ってすごいなと心底思いました。
それにしても息子がかわいい。ここまでかわいいとは思わなかった。
これから育児も始まり大変だとは思いますが、この日の感動を忘れずに、私が父親として成すべきことを1日1日取り組んでいきたいですね。
祖母の緊急手術
一昨日、祖母が心筋梗塞で倒れました。
幸い、緊急カテーテル手術が成功し、一命を取り留めました。
86歳の祖母は高血圧と持病のB型肝炎こそありましたが、まさか心臓を患うとは夢にも思っていませんでした。
今日になって随分と容体も安定してきたので、心底安心しました。
祖父が91歳で前立腺ガンと共存を選択し、祖母も86歳で慢性心不全とこれから付き合っていく可能性が高い。距離を置いている実の父も胃ガンを患った。
色々と考えさせられます。
ともかく、祖父母が人生の終盤を迎えていることを嫌でも意識せざるを得ない出来事でした。
私は祖父母が大好きですので、いつまでも生きるのは難しいかもしれませんが、せめて余生を健やかに暮らせるよう強く願うようにしています。
なるべく、できる範囲で顔を見せることが祖父母孝行になるのかなと感じました。
人生について、本当に考えさせられます。
極楽湯
週末の朝の極楽湯は最高です。
妻が午前中は寝ているので、たまに私一人だけ早朝から来ます。
私は冷え性の気があるので、身体を温めることを大事にしているのですが、
ゆっくり大きなお風呂に入る時間は至福ですね。もちろん、健康にも良いはずです。
まずは簡単に身体を洗って、露天風呂で朝のニュースをボー…と眺めて、
その後、サウナ→炭酸泉→水風呂→炭酸泉で大体1時間位です。(水風呂は急に入ると良くないので、まずは足から入って1分静止、お腹まで入って1分静止、そして全身といった感じです。)
これをやると身体の状態が全然違うことを感じます。
そして、今お風呂から上がって休憩所でコーヒーを一杯といった塩梅です。
まさに至福。
生まれ育った故郷で、普通に人並みの給与を頂いて、こういったしっかり休みのある生活ができることは本当にありがたいですね。
その分、今の仕事に対する責任感というものは増してくるばかりです。
しっかり頂いた給与以上のことを還元するつもりで働きたいですね。
前職では休みの日も半ば働いているようなものだったので、これを当たり前と思ってはいけないと肝に銘じています。
健康の一番の大敵はストレスであることを考えると、職場でのストレスが以前より大きく減り、
このように休みの日にストレスが発散できる環境もあるので本当に恵まれていると思います。
まだまだ私自身の目標からすると足りないものだらけなので、運営する2つのブログをツールとして、目標を一つ一つ成し遂げていきたいですね。